1/31/2015

引っ越し終わり



これで遠分引っ越しは無し.。歩いて1分の引っ越しだから、今までで一番楽ちんな引っ越しと言える。おまけに今度は1階。一階に住みたかった!

 昨日は一人で、運べるだけ運んだら、いい加減つかれたけど、今日は、たくさんの荷物をうまく収納するための棚を作ってもらった。これは、エドガーのワークショップから持ってきて、組み立てたんだけど非常に重たい鉄の塊で出来ている。

 この街の歯科医用のツール工場で使っていた棚で、時代物のスタイリッシュなデザインだ。しかし重たくて私は、持てなかった。

椅子2つとカーペットと冷蔵庫もワークショップから持ってきて、プリンターを置く棚も作ってくれて、結局家具は何にも買うものはなくなった。エドガーは使っていないものを私が使うのでスペースを広げることができたし、私は必要な物がそろった。

明日はプリンターを運んでくれるので、前の部屋を掃除して終わりだ。
それでも、しばらくは人に借りたミリタリーベッドで寝ることになっている。
ドイツに来てからのずーっと私の夢が、柔らかいベッドで寝たいとずーっと思っていた。
ドイツの人たちは体が大きいからかベッドが堅い。 彼らの体重では、堅いベッドでないと沈み過ぎるのだろうと思う。
私にはベッドのマットレスをうまく体がフィットするように沈めるだけの体重がないので、背中が痛くなってしまう。そこで、H1クラスの60kg以下の体重の人用のマットレスを見つけて注文したら、3週間待つことになった。で、カーペットの上で直に寝るなんて無理だから、 仕方なくミリタリーベッドを借りることにした。しかし、夕べ寝た感想ではなかなか寝付けなかったし、どっちを向いて寝ていいやら困ったものだった。
しかし、この部屋は仕事するために寝る場所を用意したような部屋になった。まあいいけど。

ドイツに来て初めて買った水仙の鉢植えの球根が芽を出していた。
今日は雪で、夕方食事の準備が終わったころには雪が積もっていた。

来週はやっと本題に入れる。

1/24/2015

近くの森から薪運び


全く山ではなくて、近くのかなり大きな公園。 というか、たぶん森の中にできた町みたいな感じと思う。


で、ここまではチェーンソーと言うことで納得。


しかし、普通に薪にする長さの3倍の丸太を割るって。これはかなりマッドだ。
なぜかと言うと、普通に短い薪にしてしまうと盗まれるからだそうだ。この長さで干しておいても、切らなきゃ使えないから盗られないそうだ。

自転車置き場に置いているけど、頂いたテーブル。

今日、ぺこさんがお友達と車で折り畳みのテーブルを持ってきてくれた。
もらってくれて嬉しいと言ってくれたけど、こんなに新品だ。
今出てるデザインより素敵だと思った。今のは全部が真っ白だ。これは木の色があっていい。

先日もらったソファベッドは大きすぎて重たすぎるので、もらうのはやめることにした。
 おまけに、ドイツ人はなぜか偉く堅いマットに寝るのが好きな人が多くて、私は今の部屋ではベッドに寝ないでソファベッドで寝てるけど、もっと柔らかいベッドで寝たい。
 ドイツに来てからの私の夢だ。柔らかいベッド。。。

 今朝、11ユーロで髪を切ってもらって来た。かなり短くしたけど優しい感じになった。今日赤く染めた髪の素敵な女性を見かけて、エドガーに赤く染めるのもいいかもと言うと、そうだな、良いと思うよと言って、俺の友達が白い色に染めてるんだねと言ってた。と私のことを言ってた。それはかなり嬉しい。結構たくさんの人に言われる。いい感じだ。


1/22/2015

長いお昼休み


ブラックフォレストは雪がうっすらと積もって、白と黒の景色が素敵だった。

今、銀行と郵便局へ行く用事があるけど、12時半から2時まではお昼休みで、皆さん休憩中。
だから、2時になるまで閉店で、2時になるのを待っている。
自転車屋さんとかは午後4時まで閉店だったとこもある。シエスタだ。時々そんなお店があるね。


美大へ行ってきた

ぺこさんの作品




一人一日だけ学校の外に向けて、誰でも見られるように展示する企画に呼んでくれた。
これは銅板で作ってあって、この中にある丸いのはプラスチックで作ったんですって。
タイトルも説明も名前もなかったけど、まあ、ぺこさんの作品で、説明がなくても何を作ったのかは想像できる。

で、彼女が言うには、この作品についてのコンセプトを説明しなくちゃいけないらしかったんだけど、日本との違いがそこにおおきくあって、説明がつかないものはコンセプトなしで、作品の良しあし以前にお話がないとダメだと言われたそうだ。
日本ではある程度、雰囲気や気持ちとかいうものが何となく伝わるものだと思うけど、そういう雰囲気や感情ではだめらしい。なるほどドイツという感じです。

で、それを感じていた私は、すごい良い面とここは日本的な部分を押してもいいんじゃないかと言うところと、両方活かしてもいいんじゃないかと思った。
彼女は、そのうち解ってくれるかなあとか言っていたけど、解らないと思う。
根本的に見る位置が違うから、いつまでたっても同じ位置からしか見ようとしなければ違う見方をしてほしいと望んでもむつかしいと思う。だったら、違う方向から見る見方を提示して誘導してみたらどうだろう。と言った。そうすれば今度はどんな楽しみ方ができるのかと次を期待して来てもらえる。

これは日本人の感じ方からできた作品だと言えば、そうなのかと思うんじゃないかな。
けっこう、こっちの人たちは日本人というものを不思議視してる気がする。
 なんだかワクワクしている私がいる。

1/20/2015

もらった

今日、友達の事務所へ行ってソファベッドを見せてもらった。
なんて立派なんだ。おまけにすっごく重たい。分けて運べないのかなと訊いたけど、ダメだって。
これは運ぶのが大変そうだ。 一階の部屋で良かった。


で、白い木製の折り畳み式のテーブルをぺこさんがくれるそうで、エドガーは他にも必要なものをリストアップして見せろと言ってくれた。
お金を使って新しいものを買わなくっても、友達に電話して持ってないか聞くだけで必要な物はそろうもんだ。 と言うことだ。
カーペットも欲しい。椅子、服を入れる収納、プリンターを置く作業台。。。
しかし、全くバラバラのデザインの家具が入るわけだ。カバーの色で部屋の中のイメージを調整しよう。

この町の歴史アルバム

夜警という名前の歴史語り部

この町の人たちはこの町の歴史を含めて大好きなんだと知った。
このサイトはこの町の写真を集めて掲載している。今日、私も写真を投稿してみた。
http://www.durlach.org/index.php

今住んでる部屋の主が、旅行に出かける前に私に教えてくれた。
彼は旅行から帰ってきたら、本格的に学んで歴史語り部になるらしい。

で、この町にアパートが決まってから、今まで英語でメールをくれていた友達が、ドイツ語でメールをくれるようになった。頑張って返事を出そう。

明日は、私の新しい部屋への引っ越しのために、ソファベッドをくれるというので友達の事務所へ行く予定。ここから歩いて3分のところ。




1/17/2015

ミュンヘン観光?ちがうけど



今日、ミュンヘンまでバスで行った。領事館へ行ったんだけど、そこへ行く途中にいかにも観光地っぽい所を通った。


普通にこの街で暮らしてるっぽい日本人をたくさん見た。




これは、カールスルーエにもあるんだけど、10分で私と同じ形の人形を作る店。
一番小さいので、99ユーロ。ちょっと大きくて150ユーロくらいだったと思う。
作らないけど。このお店を見るたびに、作りたいなあと思う。
今度試してみたい。
 だけど、ミュンヘンへは大きい街に見えた。大きい街は苦手だなと思った。



1/14/2015

まだまだ健在、私のエンジェル!

今日いきなり、狩りから帰ったらアパートが決まった。
それも、今の部屋から歩いて1分。なんて幸運なんだ。
これで、引っ越しはしばらくしなくて済む。今までは家主が出かけている間ここに住めたんだけど。これからは、居たいだけいられる。エドガーの家は斜め前だし。相変わらず近くに展示会場がある。実はこの町で部屋を見つけるのは非常に困難と言われていた。もしいつものように私がラッキーだったらねと。

で、これがやっぱりいつものようにラッキーだった。これで、この町のコーラスを続けられる。

良いね。これで、心置きなく、この町でいろんなことを企てることが容易になった。
 では、寝よう。

1/13/2015

自然を食べるということ

イノシシの通り道



私は今、週に1回狩りを撮影している。

私が一番最初に会ったハンターは、自分が獲ったイノシシやシカを自分が食べるために獲っている。もし何も取れない時期があればベジタリアンで徹底している。
だから、彼の狩りは、動物への感謝の気持ちが感じられた。

先週行った狩りで、朝、鹿を撃って内臓を取り出して雪の上に死骸を放り出してあったのを見た。何のためだかわからなかったけど、話を聴くと、彼女は狐を獲りたかった。そのために鹿の内臓を取り出して死骸を残してあった。狐をおびき寄せるための餌として。だけど、個人的に素人の私はこれには抵抗を感じた。
で、狐は走り去ってイノシシが来たからそっちを撃ったと言っていた。狐の毛皮を売る為らしい。

彼らが普段動物をおびき寄せるために使っているのはリンゴの搾りかすとコーンと麦の穂。ルールがあるらしい。それ以外見たことがない。だけど、70歳になるまで20年ハンターをやっているという彼女は、慣れたものだ。
狩りで得た獲物はレストランに売るのだそうだ。一つのエリアの使用料は安いところで一人、年間500ユーロから。場所によって値段が違うそうだ。
イノシシを獲ったら、1kg4ユーロだったかな? 1歳半くらいの雄のイノシシが先日、内臓を取り除いた状態で45kgだったから、180ユーロくらいかな。1ユーロ100円計算で18000円。それらを支払うらしい。

鹿の角が6つの分け目が付いたりっぱなオスだったら、14000ユーロだったかな、14万円くらい払わなくちゃいけない。それは売れるし価値があるらしい。肉はレストランに販売するそうだ。
 この前、冷蔵庫にたくさんの鹿が吊るされていたのを見た。3日間は吊るして血を出さなくちゃ食べれないそうだ。
その中には、最後の食べ物として、檜の葉っぱのような葉っぱを口にくわえさせていた鹿もあった。
こうしておいたハンターは、鹿に対する感謝の気持ちや弔いの気持ちがある人なのだろう。

そして、狩りは昔は本当に食べるためだったのだろう。生き死にの問題だったろう。イノシシやシカが増えすぎて、公園や畑を荒らすからという理由で狩りをすることもあるだろう。だから、ハンターはいつの時代も必要ではあるのだろう。

この町では、人がジョギングをしたり、散歩したりする大きな自然公園の中がハンティングエリアでもある。 そして、そこにはすごい数の鹿やイノシシがいる。
市や国で狩りが認められている以上、私たちは自然を口にすることができるということなのだ。牧場やブロイラーで育った動物以外をまだ食べることができるということだ。
昔は自然のものだけを食べていたわけだし。

全てが、人口で育てられた物だけを食べるのが当たり前の現代だから、自らの手で獲って自然を口にすることが、趣味で狩りをしている人の手によってしか得られない自然の恩恵というわけだ。



1/12/2015

今日は日本人と日本のお鍋

お豆腐と鮭と白菜と大きなねぎ、干しシイタケとニンジンでお鍋。それにそうめんよりも少し太い麺を入れてくれました。

今夜は美術大学に行ってるぺこさんとお鍋です。
4月の展示会に参加して、作品を展示してくれます。

ここのところ、風邪なのか疲れなのか金曜日から眠っている時間が長い。
そんな、何にもしない時間に考えることは高知のことだったりする。

自家焙煎珈琲のこやまさんが釣りバカ日誌のモデルになったと言われる人の話をしてくれたので、検索してみたら、この方は高知県民になっているようだった。へーと思って、読んでいたらお遍路さんのことを書いてある。
http://www.kochinews.co.jp/henro/141217_01.html
この記事は昨年で終わっているけど、このお話は興味深いものだった。
http://www.nangokuseikatsu.com/archives/93

ドイツには日本に興味を持っている人たちが結構いるのに驚いているんだけど、日本のことは東京と京都くらいで、葛飾北斎から先の芸術の情報はないのか?

 だったら、新しい日本のイメージをアピールしてもいいんじゃないのかな。ユーロが高いんだし。
よさこいの季節にヨーロッパでは夏休みなわけで、長い休みに高知で参加型のよさこいなんていうのはどうなんだろう?ドイツの人はほんとに踊りが好きで、踊りを習うのが普通らしい。
こんな踊り好きな民族なら、高知のよさこいをアピールして来てもらうこともできそうなもんだと思った。おとなしくて、従順な日本人の意外な一面。おぐらよさこいの写真展で驚いてもらいたい気がする。

少しずつできることから進めて行って、いろんな可能性も探しながら、できそうなら、こちらの観光オフィスの人?を見つけてお話を聞いてみたい。
昨年は香美市の人が来ていたというには、高知県もドイツに興味を持っているようだし。

まあ、私が一人で考えても仕方がないことなんだけどね。
高知県で英語ができる人がいれば問題は少し減るよね。前に進める可能性が広がりそうだ。完璧な英語である必要はないし、心を伝えられればそこから信頼関係が生まれる。

 今日は良く食べてよく話をした。寝よう。

1/11/2015

今日の嬉しいこととドイツアーチスト事情

今日は、土曜日で何にもしないでごろごろしています。明日もたぶんおんなじかな。
で、ベッドで転がったり、掃除、洗濯してたらスカイプから電話をもらいました。
かなり珍しくて驚きました。前にパリに行った時以来。何年前の話だ

高知からでした。こだわりの自家焙煎珈琲小山の店長。高知で私が尊敬している方だ。だけど、親しくしていただいて久しいのに、今年はご挨拶もできていなかった。あちらから声をかけてくれるなんてありがたい。
もうみんなに忘れられてるよね、なんて思ってさみしく感じていたので、本当にうれしかったね!

私がこうやってやってみる気になれるのも、小山さんのような自分の信念のようなものを信じて、それを貫き等して信頼を勝ち抜いてきた人がお手本になってくれているからだと思う。この方にはいろいろ仕事や彼の人生のお話を聴かせて頂いている。 彼も73歳。そういう人の人生を手本に私はドイツで、彼らから学んだことを実践しているような気がする。小山さんや大澤さんなどそういえば何人かいる。いい先輩方を知ることができたと思う。

しかし、ドイツに来てコーヒーはほとんど飲まなくなっている。たまに飲むと夜眠れなくなるくらい、カフェインに弱くなっている。水かビールかワイン。こっちのコーヒーは私には濃すぎる。水がメインでお茶も飲まない。こちらでは水が普通。

実は、前に撮影させてもらってた高知の高校生Kosho。彼は鼓童の研究生になって有望だったんだけど、サッカーで痛めた背中が原因で2年目には残れなかったそうだ。彼も悔しかったろうと思う。
だけど、彼は心の強い人だから、それが最後だとは思ってないし、そんな年齢でもない。今年20歳。

大澤さんが言ってた「あたがい」それを彼は見つけることだろうと思う。
私にはストップがかかることはジンクスだといつも感じている。ストップがかかるか、そこで無理押ししないでやめておくことが私にとっての次のいいことに繋がる。
彼のこれからが楽しみだ。私にとって高知に帰ったら会いたい人物の一人になった。

Koshoに言うとくから、電話してみてと言われたけど、もう長く会ってなくて、なんていえば良いか困ってしまう。しばらく考えてから連絡してみよう。
実際彼を撮影させてもらえて私は感謝している。あの時の写真を活かしたい。だけど、まだ時期じゃないと思う。これから彼は、高知で何かをやるかもしれない。そうしたら、彼の生き様は、新しい世代の人たちに希望を与えることだろう。

今までのところ、希望を持ちたいと思える要素が少ないと感じる高知。私はそう感じているんだけど、彼はこれからそんな高知でどう輝くんだろう。
実際四万十の方は、高知と言ってもまた違う土地柄を感じる。地域で子供たちを育てているように感じた。
彼は今、四万十で学んだことや鼓童で学んだことを、これからの人生に活かしているようだ。

大工さんのトラウザーのサイズ合わせ出来上がり
縫い目が、大ざっぱな手縫いです。しかし堅い生地で縫うのが大変だった

私はドイツで、いろいろ日本とは違ったシステムや可能性の在り方を身に染みて学んで、それを自分なりに活かして実行に移している。だけど、これはほかの人がやってることを真似しているんじゃなくて、他の人はやってないけど、ここならこんなことができそうだと思えることを模索しながら計画を立てている。

これがカールスルーエで成功しても実は高知では無理なことではある。ここではそんなことができる環境を最初から市や住民が作っている。おまけにお金持ちの芸術に理解ある市民が多いからできることだ。市はお金を持ってるわけじゃあないけど、芸術家に対して利用しやすい良い環境を用意してくれている。
高知では芸術家がプロとして成り立たないから、まず難しい。
私がドイツのカールスルーエでビザをとる理由がそういうことだ。趣味でならどこにいたってできる。

ドイツでは健康保険も年金も介護保険料も、プロの芸術家に特別に用意されている。芸術で稼いでいる人たち用ではなくて、芸術で稼ぐのは難しいけど、なんとか自分の芸術活動を続けて生きて行こうというプロの芸術家を財政的に支援できるシステムだ。
その代り、芸術以外の仕事で稼ぎながら生活している人は認められない。経費を引いた所得が年間最低3900ユーロ(日本円でレートを1ユーロ100円として表現すると39万円)。 それで、年金と介護保険、健康保険料すべて含めて、収入が最低のレベルの人で月々の支払いが74.38ユーロ。所得によってだんだん上がっていく仕組みだ。


 月々の支払  (1ユーロ100円計算)
年金
最小 €30.71    (3071円)
最高  €562.28(56228円)

健康保険
 最小支払いが€37.79
 最高が€332.1

介護保険
 最小  €5.88
 最高  €51.64

子供がいるともっと安くなる。経費を引いた金額が €152,550.00 以上だと、健康保険料は免除されて、無料で医療サービスを受けられる。それだけ税金を納めてるわけだ。所得税と

だけど、
もちろん保険や年金は支払う金額が多いほどもらえる年金金額も多いし、健康保険もそれなりの医療を受けられる。

ちなみに、年金はドイツ人は45年間支払わないと年金を受け取れない。日本では25年間。外国人の私みたいな人は5年間支払えば受け取れる権利が得られるらしい。
だけど、こちらの付加価値税は19パーセント。写真を1枚販売するにも19パーセントの付加価値税をもらわなくちゃいけなくて、日本円で表現すると147000円売り上げがあると、付加価値税を納めなくてはいけない。日本では1000万円以上の売り上げから消費税を納めるんだったと思うけど、こちらでは誰もが収めることになるね。 これは結構大変だ。

こちらでいう芸術家には、フリーランスや従業員のカメラマン、ジャーナリスト、デザイナー、新聞記者、小説家、音楽家、画家、人形遣い、ダンサー、俳優、その他、陶芸家など制作活動してる人たちいろいろ。

カメラマンは、写真展をやっているとかは関係なくて、商業カメラマン、ドキュメンタリーカメラマンも新聞のカメラマンも、 写真館のカメラマンもすべて含まれる。その代り芸術活動以外はダメ。
だけど、その他にも、ギャラリーやマネージャー、芸術大学の教授や先生その他の芸術大学の制作スタッフとかも、芸術を扱っている仕事をしている人ならすべて同じ恩恵を受けられる。
 
作品や、仕事内容、ビジネスプラン、損益計算書、会計報告書、銀行の取引証明(銀行の通帳はドイツではないので、銀行で取引内容を、キャッシュカードを専用の機械に差し込んでコピーをもらう)とかみたいなものを用意して提出する。芸術家としてやとわれている人も同じみたい。
過去6か月以内の芸術活動証拠を見せられなくちゃいけなかったので、たまたま撮影させてもらうことができたエドガーが一緒に展示会をやらせてくれたのは非常に助かった。
とにかく何かと偶然でここまで来れている。


今だにビザを待っているのは、最初のビザの審査が通って、次に芸術家専用の健康保険も年金も介護保険料のシステムに組み込むことができるかどうかの審査を受けている。その審査にまだ3か月以上かかる。それで、その審査のために1月30日までもらっていたビザをまた3か月延ばしてもらってきた。

 長いブログを書いていたら、背中が寒くなって来た。
なんだか風邪を引いたみたいだ。寝よう。風邪をひかなかった私が、珍しい。。。

追加でもう一つ、ドイツ人の税金のことなんだけど、キリスト教の人は、税金を8%、所得税とは別に支払うらしい。 それで、カソリックとプロテスタントでは別の日なんだけど休日があって、その休日には仕事もお店も休み。そんな休みを知らないと食材を買い忘れて食事に困 ることになる。だから私は冷凍室にパンを入れてある。いざとなったら、いつも買い置きしてあるブルーベリージャム(€2.45)を付けて食べる。

1/10/2015

仕事用の服のカタログ



 今日もらったカタログを覗いてみた。


こんな内容だった。おもしろい

 これは、ドイツでも南の方の人用なんだろうか?北の方の人用はもっと硬いイメージなのかな。








ドイツのカーペンターパンツ


今日は、自転車で移民局へ行ってヴィザの延長をしてもらってきた。その帰りに
仕事着専門店でこんなの見つけました。
大工さんのトラウザー。
前側のファスナーが二つあるんです。大工さんが屋根の上を歩きやすいように裾広がりです。
この木々は綿100%で、すごい厚手の生地でできていて、丈夫そうで暖かそうです。
これを私はハンティングの時に履きます。だけど、裾広がりの部分と長い裾を自分で切って縫い詰めてるところです。もちろんまた、手縫いです。
森に入る時には、この下に暖かいふわっとしたトラウザーをはきます。


76.80ユーロ。こんな布製のバッグに入れてくれて、カタログとペンとマスクのおまけをくれました。
このバッグはお買い物かごに使おうかな。

実は昨夜はぶっ倒れて、床に転がっていました。なんだかんだ言って、雪の中でイノシシを引っ張るのはきつかった。そんなに忙しいとは感じていなかったけど、いろいろ仕上げてはいる。
日本にいるときは結構ぶっ倒れることが多かったけど、ドイツに来てからはこれが初めて。
 そういえばパソコン仕事も詰めてやってる気がする。やることが多いかも。
まあ、そんなもんだね。
今日はぴんぴんしてるし。

でも、日曜日は何にもしない日にしたい。

1/09/2015

あたわり

今日大澤さんへの長い手紙と一緒に1TBのHDと写真カタログを1冊郵便局に行って送ってきた。その手紙を書き疲れてちょっと寝ていて、この言葉をさっき思い出した。

900GB弱のビデオと声だけを録音してあるものもある。後で写真を編集するにあたり、内容を把握できる方法だと思ったから一部始終を録っていた。すべての作業を収録してあるから長い。
大澤さんの言葉も一部始終入っている。

大澤さんが、「人にはそれぞれあたわりちゅうんかねえ。 そんなんがあると思うとるんですよ。僕にとってのあたわりがこの高岡の伝統的な技法での鋳物創りを一生かけてやっていくちゅことなんかなあと、思うとるんですよ。」とか言っていたのを思い出した。
あたわりを検索してみると、富山県の方言で、運命と言うような意味らしい。

もしかしたら私も、私にとってのあたわりと言えるかもしれないものを見つけられるかもしれない。
 途中でやめてしまったらそれを逃すことになるのか。時々挫折するけど、ずるずる続いている。

この町に来て、私が私の方法を見つけて、新しい形のドキュメンタリー写真でのアーチストという仕事を確立したいと頑張ろうとしている。この町の人たちに応援してもらえるように仲良くしよう。

火曜日に行ったハンティングで、私は写真がまとまったら、ハンティングの写真展を開きたいと言ったら、ハンティングの組織の人たちに協力してもらおうと言ってくれた。
まだ先の話だけど、地道に無理なく進むことが今年の私のテーマだ。

火曜日はハンティング、水曜日はコーラス。定期的に人に会う機会があるというのは楽しみができたみたいな感じだ。
 コーラスでは、たまにみんなで料理を作って持ち寄って、コーラスのイベントがあるようだ。おそらく私は料理ではなく、写真を撮ってみんなの役に立たせてもらうつもり。
しかし、ハンティングと女性ばかりのコーラスではギャップが大きい気がするなー
ハンティングを撮影していることは伏せておこう。
ハンターに対しては、私のクールなイメージが崩れるかなー
これも、コーラスをやってることは伏せておこう。
 まあ、いろいろあるよね。


1/08/2015

いい根性して、コーラスに参加した


今日は、夕方8時から、初めて行っていきなりコーラスに参加して歌った。ドイツ語わからなくても、歌なら何とかなる。アルトに入れてもらった。え?経験あるかって?無いけど、彼らは発声練習もやってたからなんとかなるでしょ。
 楽譜読めるかって?読めないけど、周りの人の音に合わせるし。

予約もテストもないって書いてあったし。みんないい感じだった。一人、背の高い女性が何か文句を私に言ってたけど、何言ってるか解らないから無視。
指導者の男性が、入りたいのかな?みたいなことを言って手招きしてくれたので、一緒に歌った。

 何処から来たのと聞かれたようだったので、ジャポネとか言った。ヤーパンが正解だわ。

 で、楽譜を持ってないので、隣の人の楽譜を携帯電話で撮影して、それを見ながら歌った。私の携帯画面は13.2cmx7.5cmあるので割りと無理なく読める。
 行く前に缶ビールを飲んでたので、気分もいいしね。
 ところが、終わってから、みんなで揃って飲みに行くけど行くか?と言われたけど、そんな予定はしてなかったので来週来た時行くと言った。

 嫌でもドイツ語聞かなきゃいけないし自分でもドイツ語を無理やり話すつもりでいる。独学で勉強してここで話すし聞き取りもできる。語学学校に行くよりよっぽど良い。
 地元の知り合いを増やすのにも持ってこいだ。しかも無料。

 これからは、どんどん人に会うつもり。
 週に一回だけだけど、十分だ。50人位いたと思う。みんなといい感じに付き合いたい。今まで、一人の時間が多かったから、ついて行けない会話でも何となく中にはいっていようと思う。
 人との繋がりが財産になる事を理解した。
 特にドイツではそうらしい。エドガーがしきりに言っていた。あの人と知り合いになると良い、あの人は沢山人を知ってるとか。じゃあ、私がそのたくさん人を知ってる人になろう。なかなか、日本人がドイツ人だけの中に入っていく人は珍しい。だから余計に良い。日本人の会に入るのは辞めた。
 今週末はぺこさんが家に来て、暖かい物を作って一緒に食べる。
 毎週火曜日はハンティングだし。
 今年は自分の立ち位置を広げよう。4月の展示会には皆に来てもらうし、いろんな人を紹介してもらうつもり。先ずは自分の周りに浸透することから始める




1/07/2015

今日の狩りの様子

今年最初の狩り。

はじめに各狩場ヘ食べ物を配って、2時間、その後狩りの条件が良さそうな場所を検討して,
その場所に設置してあるスタンドへ座って待った。3時間。だんだん日が陰ってくると寒くなるので、私は持って行った寝袋に入って座っていた。それでも少し寒かったので、次回は寝袋を2つ持って行って、2重にして使うつもり。

ほかの狩場で2か所、銃声が聞こえた。こちらはウサギが来たのを見ただけ。

 で、帰りに冷蔵庫へ寄って中を見せてくれて、帰り方向へ向かってる途中、連絡があって犬が必要とのこと。また引っ返して、血痕を追って、10分くらいで若いイノシシが見つかった。応援に呼んだハンターは70歳の女性。20年ハンターをやってるそうだ。素敵な場面に出くわした。
 雪の中のハンティングは素敵だ。私にとっては収穫だった。

1/06/2015

いろいろと、しかし少しずつ

ここのところ写真がなくて、文字だけのブログ。
大澤さんに送るビデオを整理した。で、大澤さんに電話して、ビデオプレーヤーでは見れないけれど、誰かにパソコンで見せてもらってくださいねと伝えた。
昨年夏、このビデオの一部を見ていたら、大澤さんが、こんなに細かく撮ったビデオはないから欲しいと言っているのがあった。それで、編集しなくちゃいけないと思っていたけど、そんな時間はなく、そういえば編集しなくても見られるように撮ってるんだったと気が付いた。今頃。
日付と時間で名前を整理して、順番にしておけば、サムネイルで画像が見れるから、見たい場所を順番に見られる。
ということで、それを仕上げた。900GB弱のデータなので、1TBの携帯HDをアマゾンで注文した。ショックに強いタイプ。これが届いたら、郵便で送る。

全部見るには2週間はかかる。そればっかり見てればだけど。まあ、私が持っていても宝の持ち腐れ。大澤さんが管理してくれた方が納得。見ないよねこんなにたくさん。と思う。
でも、大澤さんの写真展をドイツでもやるつもりなので、その時はビデオも上映しようと思う。
会話も入ってるので、会話の部分は音なしで。
この録画のために、軽作業はテレビを聴きながら仕事をするらしいのだけど、テレビなしでお願いした。

ここのところ、人に会いに行ったり、話をする機会ができている。今日は夕方から写真をやっている日本人の学生さんにお会いした。彼は30歳で8年大学生をやっているそうだ。アートの大学を卒業してアートで食べていくのかと思って訊いたけれど、アートでは食べていくわけではなくて、ふつうのカメラマンの仕事をするそうだ。アーチスト活動は続けると言っていたけど。そういうものなのかと解った。
大学の機材を使って仕事をしているそうだ。フォルムカメラ。 良いね。小回りは利かないだろうけどただで機材が使える。授業料ただなんだし。なるほど。2年前からカメラマンの仕事をして、生活に繋げているそうだ。良いね。




1/04/2015

もう一つ、2つ 猫の恩返し?

今日、大澤さんに電話した。VISAがまだ取れなくて帰れないけど、帰ったらパリでやった展示会をドイツでもやるつもりだと伝えた。いつやるのかと聞かれたけど、まだいつとは言えない。で、高知に電話してあの作品送ってくれない?と頼んだ。で、送ってくれるというので、早速写真展の予定を立てるつもり。
 実はDance Cream Azuki の写真も頼んだ。ドイツでKomin とAzuki 見てもらいたかった。嬉しい!

次の引越し先も決まってないのに予定は詰まってきた。大丈夫か?まあ、なんとかなるでしょ。ドイツにはエンジェルがいる。
 大澤さんに送るビデオの準備中。

実は、もうひとつわかった事だけど、ビデオは編集しなくても見てもらえる。仕事ごとに切れるけど、画像には影響無くて、話してる声が入ってるだけ。
 オリジナルを一緒に送るから、誰かに編集してもらえる事を期待する。

 大澤さんはパソコン使わない、だから息子さんにパソコンで見せてもらうことになる。紙漉きのジョンのカタログと一緒に送る。
今まで、溜まっていた事が一気に前に進んでる。新年と言うのはいいもんだね。


今年3日目 写真展用の写真選び

今年3日目。

今日は、今年の4月に開催する展示会の写真選びを始めた。
evidence 証拠
lies 
thetruthliesallaboutus 真実は私たちすべて
fact 事実
opinion 意見
insinuation ほのめかし
conviction 有罪判決
proof 証拠
accusation 告発
faith 信仰
truth 真実
babel  バベル

写真を選んでいたら、この作家の作品の中に書かれた文字が目に入った。
その中には、これらの文字の他に記号も入っていた。紙を漉くのが仕事ではなくて、自分で紙の質感や性質をコントロールして、自分の作品を作っている。

 人づきあいがかなり苦手な私だけれど、人を撮らせてもらっている。それも生活の中に入って。これは結構お互いが大変だと思う。だけど、協力してくれる。だから、頑張らなくちゃと思う。だけど、なかなか作品を形にするのに時間がかかって追いつかない。

写真を撮ったら、自分の中で消化して写真を選んで物語に作り上げる。消化するのに結構時間がかかる。納得するのに1年以上もかかる場合もある。 それだけに取り掛かっていられないのが悔しい。
だけど、そんなもんだ。理解はしてもらえるかどうか解らないけど、アーチストだったらだいたいわかってくれるようだ。その人の扱っているアートにもよるかもしれないけど。
雑誌とかに掲載される写真だったら、解りやすい。

撮らせていただいた方々には皆さんに写真を渡している。お宅に泊めていただいたりで、お世話になりっぱなしだ。
だけど、写真展で作品として見てもらうのが私の作品なので、それまでには結構時間がかかる。
写真本にして渡すこともあるけれど、それもまだ間に合っていない。風景とかだったら相手は待っているわけではないから良いんだろうなと思う。

で、写真を撮るのを少し控えている。まとめる時間が無くなるのは困る。
今年は、今まで撮った写真をまとめる年にしようと思う。

だけど、感が鈍るのはもっと困るので撮影は続けては行く。



1/03/2015

開き直りの新年?

明けましておめでとうございます。

今年になって、考えが後退しているみたいです。
今年になっていきなり。というか、少しずつ後退しつつあるような気がします。って、2日目なんですが。
 1月1日に母と話をしました。スカイプで顔を見ながら。母は、まだ、布団の中からスマートフォンで話している私を見て、いきなり「年取ったねえ」と言うのです。

そんなに顔を合わしていなかったんだと思いました。 それで一気にそんなに年を取って。母は74歳、父は78歳。

年を取りつつある自分を自覚している私は、笑顔以外人に見せないようにしている。
だけど、今年いっぱい、とにかくやり続けようと思います。それができたら次に続けたい。

エドガーに昨年の9月の展示会の準備の時、あと。。年で60だ。と言うと、怖いか?と聞かれました。私より一つ年上の彼は、俺は少し怖いと言ってました。私も怖いです。もうすでに今の年齢が怖い。
撮影させてもらうのも怖い気がします。年寄りになったと開き直るのが一番楽な方法かもしれないなと思いました。

だけど、私はここでは、まだお年寄りの部類には入っていないようです。高知に帰ったらいきなりおばさんだよね。と思いました。私は自分にちょうどいい年齢の人たちに会うことができた。これは救いだと思った。
あまりにも若い人たちだと、私は気おくれしてしまう。年上すぎるとついていけない。

私は自分ができることをやるだけで、それ以上でも以下でもない生き方をする。今はそれしかないなと思った。あんまり頑張らないでおこう。 着実に少しずつやっていこう。

一つ一つ確実に前に進む。一つ一つの出会いを大事にして、一つ一つの作品を大事にしていきたいと思った。そんなにたくさんは一気にはできないけど、この仕事は私だからできると思ってくれて協力してくれる。
知らないところに来て、知らない人たちに親切にしてもらいながら、その親切にいかに答えて行ったらいいのかを考える生活。私にはそれしかできない。まだまだお返しができていない方々がいる。少しずつやっていこう。

今年の4月はジョンの作品の展示会をやる。ジョンはカレンダーを調整して来てくれるそうだ。
2013年の6月以来だ。

ビザが取れて日本に帰れる時が来たら、高知でやりたい写真展がある。タヒチアンダンスを撮影させてもらっていたのに、まだ形にできていない。それから、アズキの写真を取ってきたい。こっちで写真展をやりたい。ビザをとるのがこんなに長くかかるとは思っていなかった。丸一年かかってしまうのかな。


あの芸術家は、日本人は芸術を理解しようとしないと言った。
だけど、私は挑戦したい。一人の日本人である私にも、日本の芸術以外のアートも、私なりに理解できることを写真で見せたい。理解できると理解してほしいわけではないけれど、私の写真にはそれが必要だ。それがないとただの記録写真になってしまう。

今 年からが本当の挑戦かもしれない。今までばたばたとドイツ生活ビギナーとして振り回されてたけど、そろそろ落ち着いてもいいころだ。今日は昨年の会計を やった。必要なバックアップも今日終わった。できることはこなしていって、 とにかく来週からの撮影と、4月の展示会を成功させる。
目標が定まったところで、さて、寝るかな。

1/01/2015

昨年のはなし、大晦日。 ドイツの年越し蕎麦番組


年末から雪が降ってて、昨日はやんでいた。
だけど、そんなに寒くは感じなくて、ずーっと続いていた忙しさで疲れて、31日の午後は寝ていた。


夕方8時前から。絶対おいでと呼んでくれてた大晦日の集まりに参加した。
知ってる人たち知らない人たちがいた。
お肉のフォンデュをごちそうになった。大きなジョッキにビールを2杯飲んで仕上がってしまったね!


で、その後テレビを見ると言うので、テレビの前にみんなが集まった。この番組?は彼らが小さい時から毎年、まったくおんなじ内容の要するにおんなじショートフィルムを見るのだそうで、で、毎年おんなじように笑って過ごす時間だとか。それを聞いて日本の年越しソバかと思った。

だけど、この番組は英語でしゃべってたんだけど。
この内容というのが、
女性が住むお屋敷?でその執事と思われる男性が彼女の食事の給仕をしている。
で、彼女のテーブルには彼女一人で、椅子がほかに4人分くらいあって、それぞれにグラスが置かれている。
で、彼女は一人で乾杯するわけで、その相手をこの執事さんがするわけだ。
彼女は乾杯してグラスに一口、でこの執事さんは彼女の一回の乾杯ごとに、ほかの席のグラスを一つ一つ回って一回一回彼女と乾杯して飲み干す。彼女が一杯のワインで乾杯する間に彼は4回飲み干すわけだ。
で、彼女のお皿を次の食事に取り換えるとまた、彼女に一杯のワインを注ぎ、ほかの4っつのグラスにそれぞれ注ぐ。で、彼はそれぞれ彼女と乾杯しながら飲み干すの繰り返し。

そこで、そのやり取りの間に、彼の癖というかどうしても通らなくちゃいけないカーペットがあって、それは虎の頭の剥製がついてる毛皮のカーペットで、彼はそこを通って部屋の隅の給仕用テーブルに行くまでの間に必ずそれを蹴飛ばす。というかそれに注意しないで歩くのでつまずくわけだ。転びはしないけど、おっとっととなる。

で、そうやって彼女の乾杯に付き合ってると当然酔っぱらうよね。で、彼はヘロヘロになりながらそれでも付き合ってるんだけど、仕舞にヘロヘロになったころには虎の頭をよけて歩いてる。

ただそれだけの繰り返しのドラマだけど、これって、日本の年越しソバみたいだと思った。
この長いおんなじことの繰り返しを繰り返すことを喜んで笑うことが、次の歳への平和な毎日の繰り返しを喜ぶことという意味で見ているんだろうなと思った。
年越しソバ番組だ。

じゃあ、これで寝ようかなそろそろ


と思っていたら、さあシャンパンを持って外に出るよ=というので、え?まだ飲まなくちゃいけない?
と思っていたら、12時に5分前、外では花火が上がっていて、彼らも小さな花火を手に持っていた。
おめでとうと言ってそれぞれフランス式のキスを両ほほでして新年を祝った。

で、これで終わりかな、と思ったら、さあ、外に出るよ。というので、え?っと思ったら、今度はとおり側の外のことで、今度は自前の打ち上げ花火を上げだした。これは耳にしんどいなと思って、私はさっさと家の中に入って

寝た。

彼らはその後ギターの演奏をする人と歌う人たちになっていたようだ。


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