3/24/2016

今日は素敵な撮影だ

CDを昨日貸してくれた。
今撮影させてもらってる手作り楽器の人が、明日この中の一番若い人が来る。その撮影だ。
このCD聞いてるけど鳥肌が立った。
楽器は彼女の作ったものだ。

3/21/2016

8月は長野県だ

とにかく良く熟睡した

昨日、おとといはただただ眠った。
一回食事するために起きた以外は、とにかく眠り続けた。
目の周りが赤く腫れ上がっていたのは、くるみの食べ過ぎみたいだった。昨年暮れから、バケツに一杯くらい食べ続けていた。
人形遣いにくるみ割り器を貰って、また調子良く食べていた。


で、コーヒー、ワイン、胡椒、マスタード、チョコレイト、ミルク、もちろんクルミも止めて、二日間寝て、オーガニックのキュウリで顔にパックしてマッサージもして。
今日は朝から撮影に出かけたけど、調子は悪く無い。
昨日までの2日間はもう、熟睡以前に、まるで体が泥酔。
全く休み無しで撮影も編集作業もバックアップもやってるわけで、まあ、平気でいるわけ無いよね状態だった。

で、やっと4月の展示会のプリントをする気になってきた。
25日には、日本から同居人がやってくる。展示や額作りを手伝ってくれる。
4月の展示会が終わったら、7月の展示会のプリントやって、8月と10月の展示会のプリント準備。撮影も毎日続きながらな訳だし。体が持つのか?

8月2日から7日には、人形遣いを連れて日本で一仕事。人形遣いは、長野県の飯田市の人形劇フェスティバルに参加する事になっている。

丁度よさこい時期で、高知に帰って見に行きたいけど、人形遣いは、次の仕事が1週間後にあるので帰らなくちゃいけない。当然荷物を運んだり通訳したりで私は1人抜けるわけにはいかないので、やっぱりドイツに帰る事になる。残念だ。




3/14/2016

クラウンに会ってきた

昨日は、私のアパートの近所に暮らす女性クラウンにベンツでシュトットガルトへ、スイスでただ1人だという、やはりこちらも女性クラウンのパフォーマンスを見に連れてってもらった。
クラウンというのをよく分かって無かった私は、ピエロなのかと思って訊いたら違うキャラクターの違うパフォーマンスをするクラウンなのだそうだ。
私はスイスで彼女を撮らせてもらうかもしれない。ここからスイスはそんなに遠く無い。ミュンヘンよりは遠いけどまあ良い。クラウンの家で泊めてもらおう。
と言っても、あまりにもやる事を増やし過ぎて、ちょっと予定を立てられない状況。


3/13/2016

アレルギー?

ストレスたまりっぱなし、寒くは無くなった気がするけど、仕事しっぱなし。
毎日撮影して、2通りのバックアップとって、写真展の準備もやりながら。

たいして忙しい気はしないけど、毎日人に会ってると疲れる。目の周りが赤くなるのが治らないので、ワインもコーヒーも、クルミを食べるのもやめて、木の実の紅茶もやめてみることにした。
ソーセージもやめて、水だけ飲むことにしてみる。
ゆで卵を毎日2個食べるのもやめる。毎日1時間くらい歩く。最低でも30分。だけど今日は買い物しただけで終わった。
次の月曜日には、市場でチキンを買って来よう。

明日はシュトットガルトへ連れてってくれる事になっている。
女性のクラウンの人が車で乗っけてってくれる。スイスで1人の女性クラウンだそうだ。
かなり楽しみだ。

3/09/2016

ゆっくりだけど進み出した

今月に入ってから毎日、少しずつだけど撮影が進んでいる。
やっと始まった人形遣いの人形制作の撮影。
良い調子だ。
今、頭を彫刻しているところで、調子良く出来上がりつつある。
いつもなら、頭と手を作ってから、1年くらいかそれ以上おいてから体を作り始めるらしいけど、今回はすでにできあがったモデルがあって、それを人形として作っているだけなので、面白いと思えるまではいかないかもしれない。元が石の銅像で、髪の毛も洋服もただの石。
だから、人形もいたってシンプルなものになるだろうと思う。

面白い仕組みを作るわけでもないし、その人形を使ってパフォーマンスを真面目にやるつもりもないわけだから、最後の作品として作ると言うけど、これを最後にするんじゃあ、物足りなさすぎる気がする。
まあ、撮影できるだけ良いか、と言えばそれまでだけど、ここまでやってやっと撮影にこぎつけた割には、あっけない気がする。

3/01/2016

なんとなくだけど

今日、私のスポンサーになってくれている会社の社長に会った。私の近況を突風のごとく話し続けた。自分が内向型という分類の感受性を持った人で、それゆえにあり得る写真スタイルとして確立しているということも。
今までは考えたことも、考える余裕もなかったんだけれど。人形遣いに聞いた事を理解しようと試みた結果、なんだ私も同じ部類の消費創造スタイルの人間で、生き方そのものがその感受性の上に成り立っていることがわかった。私はそれゆえに苦痛になることもあるけど、それ故に感じ取ることができるのと、写真を撮ることで、感じ取った事を表現する方法が私の写真だから、これとうまく付き合うしかないと理解した。
そんな人達にここのところ、というかこの街に来てから親しむようになってというか、苦痛は伴うけれど、居心地の良さを感じるというか、自分の居場所を見つけた気がする。
自分を自分として自然に受け止めて、自分のリズムで自分の感じた彼らを写真にしていく、そしてその写真は音楽そのものでしかるべきとなるわけだ。
なんだか、似たような人達がそれを良しとして、自分の確立したものを他の価値観で潰されないまま自分の信じる事を、本物を追求するべくとして 守り続けていると発見した。もちろんみんなじゃあない。その中にはまってそんな人達の1人になっても良いかもと思っている私を確認した気がする。
人を撮ること以外で、楽しいとか、旅行してリラックスしたということがないなー。
そろそろ寝よう。ワインがきいてこないのが心残りだけど、ボトル半分以上飲んだのに、1人で。。
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