12/02/2011

高校生を取材するということ




KOSHOを撮影するに当たり、高校生の個人的な生活を撮影させてもらってるわけなんだけど、通ってる学校や、家庭にまでお邪魔することになるわたしは、KOSHO個人だけでなく周りの環境にも異物として入り込んでいるわけだ。

本当はわたしにとって、最初、 高校生を取材すると言うことに、大変びびっていた。思春期のこの年齢の人種の心の動きを観察するにあたり、わたしは彼らの空気的な存在にはなりえないことは解っていた。かれら自体は単純であることは解る。しかし、わたしは、彼らは、自分自身と社会とのつながりを学ぼうとしている年齢だと言うことを忘れてはいけないと思っている。

手探り状態で、彼らとの距離感と彼らにとっての私の存在認識を少しずつつかめるようになった。

わたしは、彼らにほとんど話しかけることはない。ただ、一人のそこに来ている部外者として、彼らに礼儀を尽くさなくてはいけないことだけ。だから、挨拶をする。それも時と場合を選んで。

高校生という年代の彼らにもそれぞれの世界があり付き合いがあり顔がある。
今まで存在しなくてうまく行っていた環境に少なからず影響を与えることになっている。

相手が人でなくてもその環境に入り込むことで、生態系を変えてしまう可能性というのは大きくあるものだと認識している。
それでも決行したいと思うならばそれなりの、環境への配慮は必要だと解る。

今回の場合、一人の人間の人生の大事な時間を捉えるわけで、短期間で終わらせられる撮影ではない。
だから、わたしにできる、わたしにとってのなんとか対応できうるだろう方法をとった。
そのために半月ほど寝る時間を削って、やっと出来上がりに近づいた。やっと本題の続きに入れる。

しかし、わたしはかなり運が良かった。KOSHOを取り巻く環境がわたしには想像できていなかったが、違う意味でもわたしに理想的な題材を与えてくれた。
学校の先生方のご配慮、ご家族のあったかい人情にもお手伝いいただいて、わたしが本当は何をつかむことができるのか解らなかった方向性にかなりの援助を頂いた。

この取材はまだ、始まったばかりだ。

高校生を取材することができると言うことは、おそらく二度とチャンスを得られないだろうと感じている。わたしは、この取材を続けるにあたって、私自身がいろんな面で教えられ、学びの場を与えられ、成長させてもらえてると感じている。

KOSHOの人という部分に関して、ご家族や学校の先生方の人柄が大きく助けている。
おそらくかれらには普通のことなのだろうけれど、世の中すべてがそうというわけではない。
わたしは、彼らを取材させていただけることに深く感謝している。

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