1/13/2015

自然を食べるということ

イノシシの通り道



私は今、週に1回狩りを撮影している。

私が一番最初に会ったハンターは、自分が獲ったイノシシやシカを自分が食べるために獲っている。もし何も取れない時期があればベジタリアンで徹底している。
だから、彼の狩りは、動物への感謝の気持ちが感じられた。

先週行った狩りで、朝、鹿を撃って内臓を取り出して雪の上に死骸を放り出してあったのを見た。何のためだかわからなかったけど、話を聴くと、彼女は狐を獲りたかった。そのために鹿の内臓を取り出して死骸を残してあった。狐をおびき寄せるための餌として。だけど、個人的に素人の私はこれには抵抗を感じた。
で、狐は走り去ってイノシシが来たからそっちを撃ったと言っていた。狐の毛皮を売る為らしい。

彼らが普段動物をおびき寄せるために使っているのはリンゴの搾りかすとコーンと麦の穂。ルールがあるらしい。それ以外見たことがない。だけど、70歳になるまで20年ハンターをやっているという彼女は、慣れたものだ。
狩りで得た獲物はレストランに売るのだそうだ。一つのエリアの使用料は安いところで一人、年間500ユーロから。場所によって値段が違うそうだ。
イノシシを獲ったら、1kg4ユーロだったかな? 1歳半くらいの雄のイノシシが先日、内臓を取り除いた状態で45kgだったから、180ユーロくらいかな。1ユーロ100円計算で18000円。それらを支払うらしい。

鹿の角が6つの分け目が付いたりっぱなオスだったら、14000ユーロだったかな、14万円くらい払わなくちゃいけない。それは売れるし価値があるらしい。肉はレストランに販売するそうだ。
 この前、冷蔵庫にたくさんの鹿が吊るされていたのを見た。3日間は吊るして血を出さなくちゃ食べれないそうだ。
その中には、最後の食べ物として、檜の葉っぱのような葉っぱを口にくわえさせていた鹿もあった。
こうしておいたハンターは、鹿に対する感謝の気持ちや弔いの気持ちがある人なのだろう。

そして、狩りは昔は本当に食べるためだったのだろう。生き死にの問題だったろう。イノシシやシカが増えすぎて、公園や畑を荒らすからという理由で狩りをすることもあるだろう。だから、ハンターはいつの時代も必要ではあるのだろう。

この町では、人がジョギングをしたり、散歩したりする大きな自然公園の中がハンティングエリアでもある。 そして、そこにはすごい数の鹿やイノシシがいる。
市や国で狩りが認められている以上、私たちは自然を口にすることができるということなのだ。牧場やブロイラーで育った動物以外をまだ食べることができるということだ。
昔は自然のものだけを食べていたわけだし。

全てが、人口で育てられた物だけを食べるのが当たり前の現代だから、自らの手で獲って自然を口にすることが、趣味で狩りをしている人の手によってしか得られない自然の恩恵というわけだ。



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